2011/03/11
1:15
モブシーンや背景について

モブシーン(群集シーンのこと)という言い方には違和感がある。
プロの場合、たいていこれをアシスタントが担当したりする。先生の描くメインキャラとアシスタントの描くモブの線があまりに異なると、件の違和感が実在のものとなる。
大抵の人は気にならないけど。(そういえば幽々白書の暗黒武道会のモブはすごかった。セイント聖也の絵柄の観客とドラゴンボールっぽい観客が交互に登場したりした。)
これでは、物語世界が存在していることを読者に体感させられなくて、単に、主人公キャラクターが活躍するためだけに存在している舞台に落ちてしまう。
このような状況で、例えば世界を救う主人公たちの活躍を描いても、依然として“世界”が主人公の周辺のままなので、単に痴話喧嘩の域を出ない。
カメラはたまたまこいつら(主人公)を追っているけど、カメラの気まぐれで後方の別のひとを追いだすかもしれない。そんな考えなので、主人公の後方に小さく描きこまれる人物たちをモブとは呼ぶことに抵抗がある。
背景を書くときは、フォローしているキャラクタの導線を意識しつつも、それに直交する遠方への流れを入れる。たとえば商店街の裏に通じる路地を書き込んでみる。
カメラはたまたま主人公をフォローしてメイン通りを行くけど、読者はその路地に惹かれるものがあって、作家の用意した導線を抜けるかもしれない。こういうことで、背景は単に大道具ではなく、世界として意識させられるのかな、と思う。
小学生が寄り道をしながら下校するみたいに、読ませることができたらいいと思う。大変だけど。
プロの場合、たいていこれをアシスタントが担当したりする。先生の描くメインキャラとアシスタントの描くモブの線があまりに異なると、件の違和感が実在のものとなる。
大抵の人は気にならないけど。(そういえば幽々白書の暗黒武道会のモブはすごかった。セイント聖也の絵柄の観客とドラゴンボールっぽい観客が交互に登場したりした。)
これでは、物語世界が存在していることを読者に体感させられなくて、単に、主人公キャラクターが活躍するためだけに存在している舞台に落ちてしまう。
このような状況で、例えば世界を救う主人公たちの活躍を描いても、依然として“世界”が主人公の周辺のままなので、単に痴話喧嘩の域を出ない。
カメラはたまたまこいつら(主人公)を追っているけど、カメラの気まぐれで後方の別のひとを追いだすかもしれない。そんな考えなので、主人公の後方に小さく描きこまれる人物たちをモブとは呼ぶことに抵抗がある。
背景を書くときは、フォローしているキャラクタの導線を意識しつつも、それに直交する遠方への流れを入れる。たとえば商店街の裏に通じる路地を書き込んでみる。
カメラはたまたま主人公をフォローしてメイン通りを行くけど、読者はその路地に惹かれるものがあって、作家の用意した導線を抜けるかもしれない。こういうことで、背景は単に大道具ではなく、世界として意識させられるのかな、と思う。
小学生が寄り道をしながら下校するみたいに、読ませることができたらいいと思う。大変だけど。

1 コメント \(^o^)/
モブも主人公もすべて先生が描く漫画を読めるのはゴッド企画だけ!
コメントする